優秀賞受賞作品③
「私が伝えたいこと」
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 いじめを受けた人はその人の人生の終わりまで心に残り苦しめるものです。

  私は小学校高学年の時初めていじめを受けました。しかし他人からすればいじめとは認識されないかもしれませんし、いじめられてたという証拠も証言もありません。ただいじめていた側は何も気にせず今を生きているにもかかわらずいじめられた側は過去の苦しみを抱えて生きていくしかありません。

 私が当時いじめられていた理由は明確にはわかりません。自分の言動がその人達の心を傷つけてしまった、空気を読んで行動できなかった、他人とは違う行動をしてしまったなどと考えてしまい今でも全て悪いのは私だ、私がいなければあのクラスは平穏で楽しいクラスだったのかもしれないと思うことがあります。

 小学生のいじめは軽いからかいのようなものだろうと考える人もいると思います。実際私の受けたいじめは、クラスの全員から無視されたり、私自身とは無関係のあだ名をつけられ裏で悪口を言われてたり、トイレの個室のドアを何人もの人が叩いてきたり、悪口の書かれた紙を回されたりといった内容でした。 何度も学校を休みたいと思いましたしこの場から逃げたい、死にたいと思いました。

  ですが大人に相談しても小学生なんだから、まだ未熟で幼いんだから許してあげなさいと言われました。一般的にいじめという問題に対しあなたは一人じゃない、大人や身近な人に相談しようなどと言われていますが、いざその場になると周囲の人々は私には関係ないといって突き放していくのが現実でした。
 
  いじめは小学校を卒業すれば終わると思っていましたが人生そんな甘くはなく中学生でもいじめを受けました。中学では小学生の時に受けたいじめも続きましたがその中でも噂や陰での悪口がひどく目立ちました。噂がどんどん膨らみ名前も知らない、話したことのない人にまでただ廊下ですれ違っただけなのにブス、死ね、消えろといった色々なことを言われました。

  中学校の卒業間近になるにつれて私への悪口はだんだんと薄まってはいきましたがそうした状況が続いていく中で小学校の頃から耐え続けてきた蓄積もあり、私の生活に支障をきたすようになりました。朝どうしても布団から出られなかったり、夜、急に泣き出してしまったり、上手くご飯を食べることができなくなりました。

  外では会ったこともない人が話しているだけで私の悪口を言っているように聞こえ、みんなが私を見て笑っているように感じるようになりました。外に出る際は常に下を向いて歩き給食も上手く飲み込めずトイレで吐いたり他人の顔を伺いながらでないと言葉を話すことができなくなりました。同時に自然と楽しい、嬉しいと言った感情がなくなり、笑顔が上手く作れなくなりました。

  またネットでこの状況から抜け出せないか調べたところリストカットをすると楽になると言う記事を見つけ実際にリストカットをしたり、身近にある縄跳びの紐や自分の手で首を絞めたりもしました。リストカットをはじめた当初は浅い傷でしたが、日を重ねるうちに段々と深くなっていきました。血が出ると体にかかる重力がいつもより重いように感じることもありました。

 ですがそれと引き換えにとても気持ちが軽くなったのを覚えています。そして高校生になった今、少ないですが友達と言えるような人ができました。私へのいじめは中学で終わったものの今もなお人混みが怖くて上手く歩けなかったり、好きと言われても本音ではそう思っていないのではないかと疑いの目を向けてしまいます。相手のことを信頼できなかったり、死にたい、消えたいと思うことが今でもあります。

 しかし、高校に入って友達ができたように、必死になって生きていれば些細なことでもいいことがあるかもしれないと思って今を生きています。でもやはり死にたくなるような思い、苦しみを感じることも多々あります。ですが昔の自分が今の私に希望を持ち生き延びてくれたこの命を無駄にはせず一歩ずつ進んでいこう思って今を懸命に生きています。
 
 正直いじめの経験を話したところで全てを理解されるとは考えておらず、理解し難い内容だと思います。ただ少しでもこういう現実があるのだと、そういう経験をした人がいるんだということをこの文章を読んだあなたは忘れないで欲しいです。私が小学校の時に遭ったいじめでは、クラスの全員が私を無視していました。

 しかし、もしかしたら裏切ったら自分が標的にされてしまう、と思い従うしかなかった子もいたかもしれません。そんな状況でいじめは良くない、やめたほうがいいなんて言えないと思います。いじめられた経験がある私でさえその子の立場だったらこんな苦しみを味わってまでその子を助けたいとは思いません。自分には関係ない、たまたま小学校が同じだった自分にとっては特別ではない子を自分を犠牲にしてまで助ける価値はないと考え行動できないと思います。

 しかし、いじめを経験したからこそ、今いじめを目撃したら私はいじめは良くない、やめた方がいいとしっかり言えます。もうこんな思いをする人が一人でも減ってほしい、少しでも生きる希望が照らせるように私なりに努力していきたいと思っています。
 
 いじめられていると自分は孤独だ、ひとりぼっちだと思うことが多くあります。いじめを受けている人に味方だと声をかけても信頼してもらえないかもしれません。でもどうか諦めないであなたのできる範囲で、支えられる場面でその子のたった一人でいい、味方でいてあげてください。声をかけられない、行動することが怖いと思っていても心の中ではその子の味方でいてあげてください。たった一人、ただその一人がその子の生きる希望になることがあるのです。
自分には一人味方がいる。一人、たったそれだけでもその子を救え、折れずに立ち向かおうとする心ができるのです。



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